つみきろく

まいにちご自愛しています

わたしと姉

一月二十二日は姉の誕生日。姉と義兄はお互い仕事をしていて単身赴任のため新幹線の距離で別々に暮らしている。だからお互いの誕生日と言ってもこんな状態では気軽に行き来できないので、わたしはこの歳になってお互いが結婚しても、姉の誕生日を自分のやりたいようにお祝いできる。

 

今年は先日お知り合いになったカップアンドソーサーのお店がイベント出展されているとのことだったので姉と一緒に出掛けた。年が明けてからあんまり姉とあっていなかったので仕事の話なんかをして到着。無事に会場も見つけられた。

元々は貴重なカップアンドソーサーでお茶を頂戴することが目玉のイベントだった。世界がこんなことになっちゃったから当日キャンセルもあるかと思ったけどそんなこともなく。何種類かカップアンドソーサーがあってお見立てをしてくださるんだけど、わたしにはなんの迷いもなく「じゃあ、コペンハーゲンで」と小降りで素敵なブルーフラワーを用意してくださった。姉には二百年くらい前のマイセン。美味しいお茶を美味しく淹れていただいて、楽しいお話を聞くなどした。

知識の深いかたに貴重なお話をうかがうことは何よりも楽しいこのひとつだけれど、わたしはそういうお話を姉と一緒にうかがうのが一番好きだ。

 

わたしと姉は小さいときから全然似ていないと言われて育った。両親もそれを望んでいたようだ。わたしたちは背格好がそっくりだったこともあり、歳の差で生まれてきたひとつの人間だと言われていた。

現に姉は非常に勉強ができる人だ。文章を正確に読み取るくせにわたしの倍のスピードで読んだ。特に理科の分野は得意で教科書は一度読んだだけでほぼすべて覚えた。反面地図が大の苦手。綺麗なだけのものに興味がなく、家事はこなすがけして器用にはできない。

わたしは文章を読むのがとても遅くて一度読んだだけでは全く理解できないしすぐに忘れてしまう。空間把握能力があって地図があれば大体どこへでも行ける。何をやれてもそつなくはこなすが全く長続きしない。

 

わたしたちはたった二人の姉妹だから。歳の離れた一人の人間だから。仲良くしろと強制されていた。姉は真逆のわたしが「妹でなければ絶対に付き合わなかっただろう」という。わたしもそう思う。(というか、妹でなければ姉のような人には相手にされなかっただろうと思っている)

だからこそわたしは姉が持つ粗野にすら思える合理性や理論を聞くたびに、自分が漫然と生きていたらばたどり着かなかった質問を交わしているのを、ただただよかったなと感じる。

 

お姉ちゃん。お誕生日おめでとう。わたしの姉で、ありがとう。